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「治療院に文化をもて」

角火鉢、和箪笥、蓄音器・・・味のある古き良き骨董品の数々ショーケースの中では美しいガラス細工やアクセサリーなどきらびやかな宝飾品が輝いている。どれをとっても治療院には似つかわしくない逸品ばかりだ。三浦先生の治療院に顔を出して勉強させてもらいながらあれこれと質問を投げかける。「先生、治療台はどの様なものがいいですか?」「治療院はどのような場所に作るのがいいでしょうか?」でも返ってくる返事は対外一緒だ。「お前が使いやすいものが良い。」とにかく「こうした方がいい。」とか「商店街に面した一階のテナントがいい。」という様なアドバイスを受けた事がない。ただ一回だけ研究会の講習の席の受講生の質問で「治療院作りの注意点は?」という質問にこう答えていた。「治療院に文化をもつことだ。文化とは一朝一夕で出来るものではない。長い月日をかけて洗練されていく。治療院作りも最初からこうあるべきだとか、あれがないといけない。などと固めてしまうのではなく、最初は治療台ひとつだけの空間から自分の居心地の良い空間をじっくりと時間をかけて作っていけばいい。でもプラスチックとかアルミニウムとかは良くない。気持ち良くない。自然界にあるものがいいんじゃないか。治療院が自分の居心地の良い場所でなかったら地獄だぞ。そんなところで気持ちの良い治療なんて出来るわけないじゃないか。」なんとなく先生の治療院の醸し出す雰囲気の理由が解りかけた気がした。
先生は自分の一番居心地の良い空間で、最高の気持ち良さを提供している。角火鉢をはさんで患者さんと向かい合っているその空気さえ気持ちが良いのは文化の仕業に違いない。
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「気持ちの良さの流れを止めるな」

栄通り商店街をひとつ入ったマンションの一階の一番奥に三浦先生の治療院はある。治療院とはいっても特に看板が出ているわけでもなく、ただドアに先生の名刺が貼り付けてあり一見すると「まさかこんな所に治療院はないだろう。」と素通りしてしまいそうな場所だ。操体療法東京研究会に参加して間もなく先生から「よぉ~、秋穂。うちの治療院見にこいや~。」と言葉をかけてもらい、早速のこのこやって来た。ピーンポーン 玄関脇の呼び鈴をならす。「はいはい、今開けますよ~。おや秋穂さ~ん。」迎え入れてくれたのは、同じく研究会で学んでいる佐伯さんだった。(現在は京都府美山の萱ぶき屋根のおうちで開業されています。)「今、先生患者さん診ていて手がはなせないから静かにはいっておいで~。」入ってみてまず目に飛び込んできたのは壁一面の老師の絵、天井にはユーカリの葉、部屋一面に配置されているガラクタ(骨董品?)の数々、先程入口が治療院らしくないと書きましたが、中に入るとそれに輪をかけて治療院らしくない空間が広がっていました。
「秋穂さん、こっちこっち。」佐伯さんが手まねきします。カーテンで区切られた隣の部屋が治療室になっていて巨大な治療台の上で先生が操体法の臨床をやっていました。佐伯さんと僕はふたりでじ~っとその様子を見つめていました。操法はゆっくりと進み、快適感覚のうねりの中、先生と患者さんと佐伯さんと僕がゆったりと船にでも揺られている感じがした。先生は患者さんを正座位にポジションをとってもらい手関節の回内と回外(うちまわしとそとまわし)の動診をやり始めた。患者さんの左の手首が内側に回ってくるにつれて左の肘が開き、左の肩が頭の方に持ち上がってきた。からだ全部で連動している。隣では佐伯さんがモジモジと蠢き始めた。どうやら手関節の回内の連動をマネしているようだ。僕が佐伯さんのモゾモゾ連動を見て笑っていると、突然空から枕が降ってきた。枕は見事佐伯さんに命中。先生の方に目を向けると先生は背中をこちらに向けたまま「じゃますんな。」と小声でつぶやいた。枕は一体どこから飛んできたのだろうか?と首をかしげながら、またふたりで先生の臨床をみていた。

「口があるのだから患者様に聞け」

 以前にも書いたとは思いますが操体法の臨床は全て患者さんの「からだの要求」に答えて(これはあくまでもからだの要求であって、欲とか知識とかで汚れた頭の要求とは別物である。)気持ちの良さをからだに通すことで行っていきます。と文字で書くと大層簡単なことに聞こえるのですが、最初のうちは「今どんな感じがしますか?からだに聞き分けてください。」「もし気持ちの良さがあれば一番気持ちの良いところまでからだの造りを操ってください。」「一番気持ち良い所でその感覚を十分に味わって、からだの要求する脱力の仕方で全身の緊張を全て解いてください。」という言葉の誘導の「気持ち良い」という言葉が何となく気恥しくて口に出すのをためらってしまうのです。(まだ20代中盤の健康な男子だった僕の頭の中ではこの気持ち良いという言葉がなんともエロティックで卑猥なものに感じられていたようで・・・)実技講習中受講生の前で「秋穂、次お前やってみろ。」
人前で緊張するし、まだ自信がなくてモジモジ・・。先生何からやればいいですか?
その瞬間頭の上から何か固いものが降ってきた。先生の肘置きだ。「ばかたれ、お前は今まで何を聞いていた。全て患者のからだの要求に従えとあれほど教えただろう。他人のからだが何を要求しているかなんて俺は知らない。お前口があるんだから聞いてみればいいじゃないか。」そして、そこからやっと実習をやり始めた。「仰向けでもうつ伏せでも、一番安楽なポジションを取ってください。良くからだに聞き分けて。」「次は私の位置ですが頭の方がいいですか、足の方がいいですか?良くからだに聞き分けて。」と患者の姿勢、操者の位置、介助の位置、抵抗の強さetc.全てを患者さんのからだに聞いてみて教えてもらう。
三浦先生は「出来るのなら、始めからやれ。」という顔でみていた。多分こうやって僕達受講生は患者さん自身以上にからだとコミュニケーションをとることを学んで、そこから色々な情報を得ることを教えてもらった。今でも患者さんのからだと仲良くすることが僕の仕事です。

「足趾(あしゆび)には仏が宿る」

 僕達、操体療法東京研究会に参加して操体を学ぶ人はまず初めに「足趾の操法」の指導をうける。この操法は操体法の創始者故橋本敬三先生が70代の頃(ちょうど三浦先生が内弟子に入られていた時期)に良く臨床で使われていたもので、元々は「足心道」という足つぼのような療法をやっていた知人からのインスピレーションで使われ始めたものだということである。操体法の中では唯一外からの刺激で快を引き出す手技である。現在、三浦先生の講習では8通りのバリエーションを教えて頂くのだが、その全てがとても快感覚が通り易い。足底をもむ・足趾をもむ・趾間をもむなどひとつひとつの操法中に様々な箇所に快(気持ちの良さ)の感覚が付く。この感覚が付く箇所は全く脈略のない所に付いている理由ではなく、筋骨格系・神経系統のトラブルが生じている所に付いてくる感覚で、ありその付いてくる感覚によって診断と治療を行えるという優れものである。三浦先生は言っていた。「あしゆびはいつも靴に押し込められ、上から重い体で踏みつぶされていても、誰からも見向きもしてもらえない。様々なストレスに晒されながら窮屈に縛り付けられているこころと同じだ。そのあしゆびをこうやって揉んでいるだけでこころを癒し、からだを治してくれる。ほんとうにありがたいものだ。」僕が4年間先生の傍で勉強させていただいていた間に何度となく先生の足趾を揉ませていただいたのだがその度に「秋穂、お前はやりっぱなしだ。修めがなってない。ひとつやったらひとつ修めて、また次をやったらまた修めて・・・ズルをしようとするんじゃない。」と自分の性格を見透かされたような指摘をされた。
プロフィール

操体プラクティショナー 秋穂一雄

  • Author:操体プラクティショナー 秋穂一雄
  • 東京操体フォーラム
    操体療法東京研究会
    社団法人日本操体指導者協会
     認定操体プラクティショナー
    あきほ整骨院院長
    健康維持増進力学研究所
     
    座右の銘?
    「からだの設計にミスはない」

    あきほ整骨院

    〒810-0005
    福岡市中央区清川2-21-22
      カメラの太洋ビル2階

    電話 :092(521)8508
    メール:sorashidou@gmail.com
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