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東京操体フォーラムブログ1月17日分

『シロとクロ』

最近少し気になっていることがある。

「シロとクロの間はグレー」

「ライトとレフトの間はセンター」

「過去と未来の間は現在」

「儲かっていると儲かっていないの間はボチボチ」

「好きと嫌いの間は友人?」

こんな具合に考えてみると快と不快の間は
一体どのような状態なのであろう。

比較的近いのは良いと悪いの間の普通みたいな
感じになるのでしょうか。

それとも快と不快は相対するものでは無く
独立した存在として捉えるべきなのでしょうか。

操体の臨床において快・不快の感覚を分析する際でも
これは快ですか不快ですかと尋ねることはありません。

例えばこの中心に「ラク」というものを据えてみると
快でも不快でもない状態が果たして本当にラクなのだろうか
という疑問が頭に浮かんでしまいます。

不快感覚の存在するボディーに操法を通すことによって
快感覚に変化させることは充分に可能であるし
反対に快感覚がききわけられた状態であったとしても
からだの要求を超えて味わった場合には不快が引き起こされる。
この一連の快と不快のサイクルの中にラクと云う感覚の
存在というものは無い様に思えます。

しかし、この快と不快の間には何かしらの感覚の変化が
確実に存在している様に思えます。
これが三浦理事長が以前説明してあった予備感覚と云うもの
なのでしょうか。

最近この快とも不快とも判定がつかないような
微妙な感覚が微妙に気になって来ているのです。
私自身の感覚としては痛いようなくすぐったいような
何となく刹那的なモヤッとした感覚が気になるのです。

大方の場合はこの感覚から快感覚に移行して行くのですが
このモヤ〜っとした状態から変化しないこともありました。

そういえば以前、快の感覚をききわけている際に
何種類かの水性絵の具を混ぜ合わせたかのような色合い
イメージで行くと昔テレビで見た『ウルトラQ』の
オープニングのような流体的な感じがしていましたが
最近その感覚が薄くなって行くに連れてこの
快ではないモヤっとした感覚を感じ始めた様に思えます。
徐々に自分自身の中で快感覚のききわけの感受性に
変化が起こって来ているのでしょうか。
でもこの感覚の中には必ず何かを秘めているという
期待を感じされる何かが潜んでいる気がします。
それを考えると明らかに増す増すラクではあり得ないですね。

こんなモヤっとした状態って決して操体の臨床の中だけでは
無いようです今時分自身がやっていることが本当に好きなことでは
無いけれど、決して好きなことをやれている訳でもない。
好きでも嫌いでもやりたくともやりたくなくともない
非常に漠然とした曖昧な状態。
このような状態の中でしっかりと感覚をききわけ続けて行けば
その曖昧な状態の中にとても価値の在る宝物が眠っているのかもしれない。
最近中間が気になってしょうがないのです。
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プロフィール

操体プラクティショナー 秋穂一雄

  • Author:操体プラクティショナー 秋穂一雄
  • 東京操体フォーラム
    操体療法東京研究会
    社団法人日本操体指導者協会
     認定操体プラクティショナー
    あきほ整骨院院長
    健康維持増進力学研究所
     
    座右の銘?
    「からだの設計にミスはない」

    あきほ整骨院

    〒810-0005
    福岡市中央区清川2-21-22
      カメラの太洋ビル2階

    電話 :092(521)8508
    メール:sorashidou@gmail.com
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